囲碁江戸時代の棋士はプロに入る?
囲碁が大好きな人たちに質問!秀策の時代の江戸時代の碁の、棋士はプロの碁に当てはまりますか??
江戸時代はプロ・アマの区別が曖昧でした。家元の四家(本因坊・井上・安井・林)には幕府から扶持が出ていましたが、対局だけで生活できるのは余程の高段者だけであったと思われます。もちろん御城碁に出場するほどになれば立派なプロと言えますが、太田雄蔵のように七段になっても出場辞退した打ち手もいます。
信州松代に関山仙太夫という剣術指南がおりまして、七十歳を過ぎてから秀策を招いて二十番碁を戦っております。定先で七勝十三敗。立派なもんです。しかも二十日間できっちり二十番を打ち切り、一日で終らない碁は翌日に打ち継いだが、その日のうちに次の局を始めるという驚くべきタフネス爺さんでした。五段か六段の力は十分にあったでしょうが、免状を所望したところ、本因坊家は三段までしか出せないと断ったため、それならいらない、と初段で通したそうです。史上最強の初段といわれております。
他に仕事がなくて、囲碁だけで生計をたてていた人達ですから、当然にプロといえるでしょう。
囲碁の実力にしても、当時の有段者は、現在の一般的なアマとは比較にならないくらい強かったと思います。
(おそらく、昔の道策や丈和・玄庵・秀策などの名人クラスが現在に甦れば、1年もすればトップクラスで打つのは間違いないでしょうね。
0 件のコメント:
コメントを投稿