八百長について
将棋、囲碁などの競技で八百長が発覚した例ってあるのでしょうか?
ああいう世界って縦の繋がりが強そうだし、段位?がかかった対局では八百長があってもおかしくないのでわ?と思います。
相撲などと違い 瞬間勝負ではありませんので
よほど精巧に仕込まなければすぐに発覚してしまうのでは?
過去に二歩を打って負けた棋士がいましたね。
しかもTV中継まっただ中に。@@
リンク貼っときますね。
http://www.youtube.com/watch?v=MUdvinVHoNs
田村五段の上を向いて一生懸命笑いをこらえている姿が印象的です。
まさに瞬間勝負です。これが八百長なら10年に一回も使えませんよ^^
囲碁で、手加減(八百長)をしたという逸話は、江戸時代からいつくも伝わっていますが、勝ち星の貸し借りのような都合とは異なるものがあると思います。
-------------------------------
三世本因坊道悦は、牧野成貞という殿様に碁の教授をしていましたが、あるとき、牧野成貞が「二子で教えてもらっているが、本当の実力はどのくらいか?」と尋ね、道悦は「手加減などしていない。本当に二子だ。疑うなら安井算知(二世。名人碁所となったが、道悦と争碁を打ち、名人から退陰させられた恨みがあり、本因坊家所縁の者なら、たとえ殿様といえども本気で打つだろうという意味で)と打ってくれ」と、その対局が実現します。
算知とも同じく2子で打ち、牧野の2目勝ちに終りますが、道悦は負けてくれた算知に感謝し、算知は『対立しているとはいえ、碁打同士で体面を潰すわけにはいかない』と語ったことが話として伝えられています。
-------------------------------
五世本因坊道知は、御城碁では、出仕した当初の数局を除いて、黒番はすべて5目勝ち、白番は、2目負けと3目負けが交互に現われます。
これを、「道知と他家の実力差がありすぎたので、他家が八百長を申し入れた」と表現する書物もありますが、それはあくまでも憶測であって、証拠があるわけではありません。
この当時の御城碁は、勝負ではなく芸をみせる場として、格調高く、ごちゃごちゃと戦わない碁とすることが暗黙の了解事項のようであり、道知は、本気で全力を出しているわけではないという意思を示すいたずら心から、目数をそろえたのかもしれません。
ただし、道知が本気でなかったのは事実で、前の名人碁所である井上因碩(道節)が亡くなってから10年、約束されていた自分の昇段や名人碁所推挙を誰も言い出さないことに対して、「このままでいるなら、次の御城碁からは力一杯打つ」と通知して他家を慌てさせ、名人に推挙させた事実があります。
-------------------------------
本因坊跡目秀策は、坊門の先輩で当時素人日本一五段格の関山仙太夫に信州に招かれて二十番碁を打ちます。
仙太夫は、若い頃に江戸で丈和に2子で勝ち、免状を求めたところ、丈和が三段を示すと、三段ならいらないと断り、名人に2子=4段差ということで五段格を任じていました。
その晩年に、冥土の土産にと、秀策を招き、定先で対局します。
伸び盛り七段の秀策と、全盛期に五段格で晩年を迎えた仙太夫の定先では、秀策に有利な手合ですが、これも、秀策がうまく2勝1敗のペースになるように手加減したように言われています。
また、秀策にしてみれば、勝負の碁ではないし、同門の先輩に敬意を表して無理して勝つ必要はないと思っていたかもしれません。
-------------------------------
田村保寿(本因坊秀哉)は、六段に昇段することが決まったときに、ちょうど対局打ち掛け中の雁金準一との碁が非常に難しい形勢であり、昇段直後の1局として、出来の悪い碁が公表されるのは都合が悪いと、持碁にしてくれるように申し入れます。
田村があまりにも強く頼むので雁金も了解しますが、打ち掛けの前後で雁金の打ち方があまりにも変調なため、両者の師である秀栄に見破られました。
そういうこともあって、秀栄は田村を快く思っておらず、八百長とは反対のことになりますが、次のようなことがありました。
秀栄がもうじき名人に推挙されるというころ、名人になれば容易に打てなくなるから、と秀栄~田村の2番碁を打つことになり、1勝1敗になるように、とあらかじめ合意をしました。
ところが、引き分けになるものと思っていた田村の心の隙をついて、秀栄は2番とも勝ってしまい、「これでいいんだ」と平然としていたそうです。
-------------------------------
将棋側では、あまりそういう八百長ネタを存じませんが、
戦争で兵役に取られる前に、わざと負けて昇段を果たさせてあげたとか、また反対に、そういう心遣いをしてくれるだろうと思って対局したら、本気をだされて、最初から力がはいっていないために負けてしまったとか、
そういうのは聞いたことがあります。
そもそも八百長という言葉は八百屋の長兵衛が相撲の親方に野菜を仕入れてもらうためにわざと碁に負けたことに由来しています。実例は以下。
1 江戸時代の本因坊道知は実力抜群でしたが家元仲間との申し合わせでわざと負けた碁が多いです。
2 明治時代の本因坊秀哉は雁金準一に頼んでジゴ(引き分け)を作り、師匠に見破られています。
3 昭和時代の本因坊秀格もやはり若い頃、降級のかかった先輩に頼まれて一目負けの碁を作ったと著書で告白しています。
将棋界については具体例を存じませんが、かつてB級1組互助会(?)なるものが存在したという噂を聞いたことがあります。全く無いとは言えないと思います。
囲碁も現代は八百長はあり得ません。ただしプロ同士の場合です。見る人が見ればすぐ判るからです。
プロとアマの場合は事情が違います。プロはアマに勝たせようとします。せっかく勝たせようとしているのに下手なアマは手が見えません。上手は本当に困ってしまいます。小沢一郎が中国訪問の帰り途韓国によりました。曺薫鉉が小沢一郎と指導碁を打ちました。何とか小沢に花を持たせようと苦心していました。ほぼうまくいっていたのですが曺薫鉉のハネツギに小沢はあろうことか手を抜きました。先手でなければプロがハネツギを打つわけがない。ありゃ切られてお終いと見ていたら曺薫鉉はきらずに小沢の緩手につきあいました。次に小沢が接いで事なきを得ました。とてもみっともない手の緩め方で小沢を勝たせたのです。並べていて思わず顔をしかめてしまいました。その点依田紀基は見事な打ち回しでまわりに気づかれずに勝たせました。八百長をやるにしても美醜があります。
勝ち負けが全ての将棋指しにとって
自分の星を売るような小賢しい間は居ないのではと思います
逆は結構居そうですけどね
今の将棋連盟の会長である米長先生などは
むしろ相手のここ一番の大事な対局にこそ本気を出してました
有吉先生などは病気で弱ってる師匠にすら手加減しませんでした
そういう人達の集まりですので八百長なぞありえないです
あ、囲碁界は知りませんけど多分似たり寄ったりだと思います
0 件のコメント:
コメントを投稿