囲碁の大手合とは、どのような制度だったのですか?
自分はずっと将棋ファンで、5年くらい前から囲碁も打つようになったのですが、
その時は既に昇段規定は現行のものだったので、大手合についてはよく知りません。大手合とはどのような制度だったのか、また、どうして大手合をやめてしまったのかを教えて下さい。
複雑な経緯があるので簡単に説明します。大手合は日本棋院の昇段制度で、将棋の順位戦に似ています。コミ無しでしたので、白番で勝つと点数が高く、黒番は低得点でした。戦前はこれがいわば本場所で、新聞碁はあくまでお好み碁的な扱いでした。戦後しばらくの間は、朝日ー大手合、毎日ー本因坊戦、読売ー呉清源十番碁をそれぞれ主催していました。朝日は将棋と同様、大手合を基とした名人戦を作りたかったのですが、機を見るに敏な読売が昭和30年代に名人戦を開始したので、怒って大手合の後援を止めてしまいました。スポンサーがいなくなっても棋士が碁を打つ以上対局料は出さねばならず、これが日本棋院の財政上の大問題となりました。最後は対局料無しで存続していましたが、近年消滅しました。
大手合中止の根本原因は、第一に金銭的裏付けがなかったことですが、また一方では「石を投げれば九段に当たる」といわれたような不合理で年功序列的な昇段システムにありました。現在では九段になることは相当難しいです。
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