囲碁が強い人から見て、ヒカルの碁ってどうなの?
囲碁が強い、囲碁に詳しい人が読むと、漫画「ヒカルの碁」の囲碁の描写はどう見えますか?
製作に日本棋院の監修がついてるので、間違った描写は無いと思いますが。
試合の最中や終局に描かれてる碁盤の描写を見て「佐為、強ええ!」って登場人物の強さを実感したりできるのでしょうか?
それとも「これはない、その手はありえない」って思うシーンもあるのでしょうか?
私は囲碁をやった事がないので、石の並びだけ見ても凄さが分かりません。「凄い」というセリフがあって初めて凄い試合なんだと理解するぐらいです。
まず、この漫画がはじまったころ、友人同士で「この表現はおかしいんじゃないか?」と議論になったことが、ひとつだけあります。
この漫画では、コミは「白の地に足すもの」となっているが、自分らは「勝敗結果から引くもの」と教わってきた。と言うものです。
例えば、漫画では『黒地60目。白地は55目にコミ5目半(当時)を足して60目半。白の半目勝ちだ』という表現がされています。
『白地はコミを足して何目になる』なんていう表現は、碁を覚えてこのかた言ったことがない。「白地」と呼べるのは55目でしかない。
黒60、白55、そこから『コミを引いて』白の半目勝ちだ。というものではないか。
と、『コミを足して』という表現は、本当にそれでいいのか?と疑問でした。
まあ、勝敗がわかればどっちでもいいが、、と、考えることをやめてしまいましたが。
連載当初は、どうにもあのヒカルのおちゃらけた感じがなじめず、こんな漫画で、囲碁がテーマで興味を持ってくれるんだろうか?と疑問でした。
もしも、あのままヒカルがただ単に佐為に体を貸すだけの話ならすぐ終わっちゃうよね。まさか、漫画の原作で賞を取ってそんなつまらない話じゃないよね。と思い、見続けていたら、ヒカルが真剣に碁に向かうようになってからは、「ああ、良い作品だな」と思うように変わっていきました。
盤面については、漫画でそれを見て形勢を理解したり、好手を味わうことを求めてはいない(それは、漫画の会話や表情で表現すること)けれど、あえてプロの実戦譜を使ったのは、作者または監修者のリアル感に対するこだわりでしょうか。
あえて問題があることを言ってしまうと、あまりにも有名な棋譜を使って実戦の進行状態まで書き表してしまうと、結果が先にわかることかな。佐為と塔矢行洋、ヒカルとコ・ヨンハの半目勝負も、棋譜の通りならこっちの勝ちだよね、なんて先に考えながら眺めました。
漫画の本編と直接関係のない細かいツッコミならいくつかありますが、、
例えば、ヒカルとアキラの一番最初の碁会所での対局は(秀和秀策、黒番秀策4目勝ち)漫画でヒカルの2目勝ちになっているけど、目数がおかしい、とか。
凄いとかは感じますね。使用してる棋譜もプロの対局のものですし、コミのつけかたやその他ルールも日本棋院の定めているものに沿っていますから、違和感等は何も。
自分は囲碁をやっていながらヒカルの碁のファンでもあります。
自分的にはおかしいとか間違った描写を感じたことはありません。
また、この漫画は囲碁の腕によって楽しみ方が違ってくるのもすばらしい作品です。
この漫画がきっかけで囲碁を始めた頃は、盤面と手順を見ても何故そういう手が生まれるのかというのは分りませんでした。
ですが、数年してまたコミックスを読み返すと(ああ。なるほどこういう事か)と思えることが多いです。
作中の棋譜は全て今まで歴史上で打たれた数多くの名局が引用されています。
なのでそれらの棋譜を知っていれば、結果等はわかったと思います。
ですが自分は棋譜を知った後でも、それらは考えず楽しみながら読んでいます。
なので、キャラが打った後こういう狙いだったと解説があった時は素直に凄いと思っています。
この作品は囲碁を打てる人は打たれた手がどういう手なのかを考え、囲碁を知らない人は雰囲気やキャラの台詞等からどういう場面であるかというのを楽しむのが良いと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿