2012年5月1日火曜日

囲碁や将棋のプロは、自分が対局したものは、すべて覚えているとの話ですが、小説...

囲碁や将棋のプロは、自分が対局したものは、すべて覚えているとの話ですが、小説家なども自分が書いた文章は、一字一句とはいえなくても、9割以上は、
覚えているものですか。







たぶん覚えていない。





それは「一手」、一語にかける時間がちがうから。



プロの作家は膨大な量の文章を書く。質より量が勝負という面がある。それが散文というものだ。



しかし、棋士は一手を指すのに、許される時間を最大につかって、先を読む。だから、一手に「時間」が凝縮される。それが記憶に残る。また、もともと記憶力のいい人間でないと、棋士はつとまらないというのもあるだろう。



その意味でいえば、将棋、棋士は、散文よりも韻文、小説家よりも詩人にちかい。だから、詩人であれば、自作を暗唱できても不思議はない。小説家であれば、時間をかけて推敲を重ねた箇所であれば、諳んじることができるかもしれないが、作品全部は無理だ。また、いつまでも記憶に残して、引きずっているようでは、次の作品にとりかかれない。









ご参考までに。。。








文章に関しては長さにもよると思います。自分で書いた2分くらいのスピーチ原稿なら、おっしゃる通り一字一句ではありませんが、特に練習しなくても原稿どおり話すことができます。

小説については、多分ほとんど覚えていないでしょうが、星新一なら覚えている作品があるかも知れません(笑)



私は将棋を少しやりますが、なぜ自分が対局したものを始めから覚えているのか不思議です。

どうして受験勉強は将棋のようにやったことが出来るようにならなかったのですかね(笑)







アマチュアでも覚えていますからプロなら尚更です。

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